筆者とその家族は、半島の北、羅南から赤十字の旗を付けた汽車に乗って、脱出を始めます。
その中の描写が、淡々としているので、なんとなく読み流してしまいがちですが、
読めば読むほど、壮絶で言葉を失います。
羅南から乗車した時すでに駅は混乱状態で、
車両の中に傷病人がいっぱいだったこと。
駅で赤ちゃんを連れた妊娠中の女性が、
夫と思しき男性と涙で別れる姿。
赤ちゃんがなくなり、その遺体を放り投げる看護婦、後を追って飛び降りる母親。
次々に病人がなくなり、そのたびに遺体が放り投げられる。
水がなかったため、盥に貯めてあった尿で口を漱ぐ人。
赤十字の旗を付けているにもかかわらず、機関車が敵機から攻撃されたこと。
この敵機はどこのなんだろう?
ソ連軍か、それともアメリカ軍か。
途中、一家は列車と別れを告げて徒歩で京城を目指すけれど、
列車の中の人々はどうなったんだろう?
道中凌辱された女性たち。
それを見て見ぬ振りするしかなかったほかの日本人。
つらい。
むごい。
大陸や半島から帰ってきた人々には、
このような壮絶な物語があります。
ちょっと立場は特殊ですが、やはりこの方も脱出にはかなりの危険を伴ったようです。
この方を救ったのは、日本の本籍地から取り寄せた「戸籍謄本」だと言います。
こんな紙切れ、と中国人が破り捨ててしまったらそれまででした。(戸籍って大事)
この方が日本人であることは、絶対に秘密だったとありますが、
今となっては、それはどこまで秘密だったかな?と思います。
私は、実は中華民国政府も知っていたのではないかと、個人的には思っています。
それにしても、同じ外地なのに、なぜ台湾からの帰国者には、このような壮絶な物語がないのでしょう。
お別れに涙を流し、舟に乗ったという話を聞くことさえあります。
私の祖父は、戦前台湾で材木の仕事をしていたそうです。
しかし、ちゃんとそういう話を聞く前に、
というより、私が歴史にきちんと向き合うずっと以前に、
祖父は亡くなってしまいました。
祖父は若いころ両親を亡くし、大変苦労して身を立てた人なので、
あまり過去を話したがらない人でした。
私が後年、台湾に住むことになった時、
仏前に報告しました。
もちろん、まったく面影の無い台湾ではありましたが、
それでも古い建物を見かけると、
もしや祖父もこれを見たのかな?などと思いをはせました。
生きていたら、なんと言ってくれただろう。
帰国後、日経新聞で連載された小説。
日清戦争後、台湾で活路を見出した男の物語です。
お時間がありましたら、どうぞご一読ください。
Trackback URL
Author:りか
りかです。
どうぞよろしく。
Comment