ジュヌヴィーヴな毎日

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外務省は伏魔殿

太平洋戦争(というのはGHQの呼び方で、日本が閣議決定した呼称は「大東亜戦争」ですが、そういうと、右翼と言われてしまうので、ここでは太平洋戦争ということにします)のきっかけになった、

日本の真珠湾奇襲攻撃って、

本当は、アメリカ側は暗号を解読して、承知していた、という説がありましたね。

これはどうも本当のようです。

というより、むしろ、アメリカが日本の開戦を誘っていたんですね。

当時のルーズベルト政権は、外国での戦争に参戦しないことを公約として成立した政権だったので、

日本を遣り込める口実を探していたのです。

日本がアメリカの脅威になったのは、日露戦争の勝利からです。


最近知ったのは、日本の真珠湾攻撃を告げる「宣戦布告」

これを在米日本大使館は受け取っていたのに、

前日の送別会のせいで遅刻した大使館員の怠慢で、

翻訳が間に合わず、

「宣戦布告無しの奇襲作戦」=日本は稀代の卑怯者、

になってしまったという事です。


この時の送別される大使館員は、寺崎英成

寺崎英成の娘は、日米ハーフの「マリコ」。

柳田国男の「マリコ」というノンフィクションで、知っている方もあるかと思います。

マリコ (新潮文庫)/新潮社
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これを読むと、どんどん悪くなる日米関係を、暗号として娘の名「マリコ」として、
電話で本国と会話していたと言います。
そんな暗号、本気で大丈夫と思っていたんでしょうか?
娘が日米ハーフであることから、どう考えてもマリコ=日米関係、でしょう。
しかも、「マリコの健康状態は良くない」「かなり悪くなってきた」なんて会話していたら、
どう見ても娘がピンピンしているのに、
何の話をしているのか丸わかりです。
アタマ悪すぎ。
しかも外交官が外国人と結婚するのはタブーというのに、
ちゃっかりアメリカ人女性と大使館のパーティーで出会って結婚しています。
これを美談として本にはまとめられていますし、
尊い命を授かった何十年も前の個人の結婚を、
今更とやかく言う気はありませんが、
危機感無さすぎ。
しかもそんな危機的状況なのに、「送別会」って・・・・。
自粛しろや、コラ!です。

そんでもって、この人の帰国祝いパーティーで飲み過ぎて遅刻、って

何それ?って感じ。

そして、その人物の名は「奥村勝蔵」さん。

なんと1975年までご存命でした。

経歴をwikiでしらべますと、

1945年(昭和20年)9月27日の昭和天皇とマッカーサーの日本側通訳を担当した。

1947年(昭和22年)、昭和天皇の通訳をした際にその発言を漏らしたとして一時懲戒免官処分となったが、その後復帰が許されて、1952年(昭和27年)、事務次官になった。その後、1957年(昭和32年)よりスイス大使


なんだこれ?

これこそまさに「戦犯」なのに、なんなのこの人?

てか、なんでこの人公職追放されなかったの?

事務次官て、各府省において職業公務員(官僚)が就く一般職の職員のうち最高の地位、だそうです。

なんでそんなのになれるの?

もしかして、この人スパイ?

この日米開戦通告を送らせた功績で、事務次官になれたとか?

この人が、日本の「ひざまづき外交」の祖なの?


そこから派生して、外務省の歴代事務次官を調べてみると、

ぞーーーーーーっとすることがいろいろわかります。

外務官僚は、どういうわけか、親族で外務省に入省、重要ポストを歴任していることが多いです。

自分、父、息子、娘の夫…たまたま優秀な方が多いんでしょうけど、

なんだかとても怪しいです。

そして、気持ち悪い人もなっています。

例えば、

東郷文彦1974.2.19-1975.8.15


この方の息子が、鈴木宗男との太いパイプで様々な疑惑があり、罷免された東郷和彦

この東郷和彦をwikiでしらべると、こんな記述が。


先祖は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工で、姓を朴(パク、ぼく)としていた。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。曽祖父の朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。


東郷和彦さんの曾祖父ということは、事務次官であった東郷文彦さんにしてみれば「祖父」ということになります。

その「近さ」にぞっとしませんか。


さらに、その父東郷重徳

太平洋戦争開戦時及び終戦時の日本の外務大臣。朝鮮人陶工の子孫。

つまり、この人のお父さんは、朴さんだったのです。



ちなみに、東郷姓については

東郷姓は祖父の代に買い受けたものだが、同じ薩摩出身の海軍元帥・伯爵東郷平八郎と血縁関係はない。




明治のころまで朴だったけど、気持ちは日本人だったのか、それとも朝鮮人だったのか。

幕末まで朝鮮語を話していたということは、

まさしく朝鮮人としてのアイデンティティをお持ちだったはずです。

よりによって、鹿児島の名門の名を買って、どういうつもりだったのか。

戦争中も、開戦時も、外務大臣をしていた時、一体どういう気持ちでいたのか。

朝鮮併合をどう感じていたのか。

その後の李承晩ラインをどう思っていたのか。

ザイニチの帰国事業をどう思っていたのか。

朝鮮進駐軍が大挙して暴動を起こしていたのを、官僚としてどう思っていたのか。

もう恐ろしくって、気持ち悪くって、今日は眠れないかもしれません。



  どうか、普通の日本人よ、勉強して真っ当な外務省を作って!


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